昔の鍼灸のお話


「石坂流」と弟子たちが ? (それとも本人が ? )名乗った江戸時代から始まった鍼灸流派のお話です。


いわゆる石坂流は鍼灸師、石坂宗哲(いしざかそうてつ)先生の理論を基に、書物や口伝によって様々な形で現在に受け継がれています。


江戸時代、西洋から新しい学問や物資が輸入されてくる中で、自らの肌で感じた「良い」と思うものを昔からの考えに取り入れ、独自の鍼灸学を構築し、発展させた人物・流派です。


この先生、面白い逸話があります。号と言われる本名とは別の名称、いわゆるペンネームを「竽斎(うさい)」と名乗っていました。


「竽」とは笛のことなのですが、なぜフエなのでしょうか!?


それには、この時代ならではの背景があります。昔は按摩(マッサージのこと)と言えば、基本的にはお店を構えず、笛を吹いて街中をながし、お客さんを見つけるのが基本スタイルでした。


若かりし頃の石坂先生は、鍼灸師としてまだ無名で、貧しい暮らしをしていました。


そんな時、生活を支えてくれたのが、腕一本で仕事ができる按摩でした。


そのため、笛を宝物とし、鍼灸師として名をあげても号の1字に「竽」をつけて、感謝したそうです。


按摩は、凝ったところや痛むところをもみほぐす、いわゆる「手当て」でもあります。


また、生身の人体に触れることで筋肉・骨格の構造を理解することになり、医学の勉強にはかかせません。


患者さんに現れる異変を探り、的確なツボに鍼とお灸を施すことが必要とされる、鍼灸施術を行う上での基本技術でもあります。


きっと、石坂先生はそういった意味でも「竽」の字を使って、基本の大切さを伝えたかったのかもしれません。


当院でも治療の基本である「手当て」の精神を大切に、患者様のお悩みをしっかりと伺った上で、お体に触れさせていただき、問題の解決にむけて施術を行わせて頂きたいと考えております。